第52代嵯峨天皇は嵯峨野の地に離宮・嵯峨院を造営され、譲位後は仙洞御所(上皇の御 所)と定められました。離宮内に造られた大沢池は、中国の洞庭湖を模しているので「庭湖」 とも呼ばれ、現存する最古の林泉庭園です。 池には「天神島」、「菊ガ島」のニ島と、その間 に「庭湖石」があります。嵯峨天皇はある日、菊ガ島に咲く菊を手折られ瓶に挿されたとこ ろ、その姿が自然に天・地・人の三才の美しさを備えていたことに感動され「後世花を生く るものは宜しく之を以て範とすべし」と言われ、これが嵯峨御流の始まりと伝えられていま す。大沢池のニ島一石の配置は、嵯峨御流盛花「景色いけ」の規範となっています。
嵯峨御流は、嵯峨離宮にその源を発しているのですが、天皇は華道だけでなく、伶楽をはじめ書画、建築、造園など、一切の芸術の原則をうたわれています。つまり文人・嵯峨天皇のご叡慮は、今なおその形をとどめ、 さらにそれらの規範となるものは、未来に向けての真理を備えているといっても過言ではありません。嵯峨御流が、特に「御流」と称されるのも このためです。
8 7 6年に嵯峨離宮は大覚寺となり、嵯峨御流は今もなお大覚寺に拠点を置いています。
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